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藤崎八幡宮秋季例大祭 例大祭の豆知識 其の参

 藤崎八旛宮の「旛」
 八幡宮は一般に「幡」と書くのに、藤崎宮は「旛」と書いている。なぜだろうか。それは石清水八幡宮を分請下向した時、即ち藤崎宮の起源であるが、三位左中将橘能員らが供奉した神輿の前後に「旛」を立てて神幸行列を盛んにしたことから「旛」と書くようになった。後奈良天皇奉納の鳥居の額も「八旛藤崎宮」となっている。ちなみに「幡」は矢旗のような半巾の薄い旗をいい、「旛」は刺繍した大巾の厚みのある旗のことである。

 御神幸の並び今昔
 現在、飾り馬は行列の最後を飾っている。だが、少なくとも江戸期までは一の宮、二の宮、三の宮の御神輿にお供する神官、神職家の一団のすぐ後に飾り馬が続いた。飾り馬の後に獅子舞い、随兵と並んだのである。それは飾り馬がもともと神官の乗馬であり、また随兵があくまで御神幸行列に従うものであることを物語っている。

 神幸コース今昔
 西南の役以前は現在の藤崎台球場にあった社殿から坂を下り、井芹川の河原のお旅所までの短いコースであった。井芹川の河原で放生会が行なわれ、また休憩中に竹矢来の中で馬追いが行なわれた。藤崎宮が現在地に移って今日のコースとなったのだが、立町廻りは一年おきが慣例、それも平成 4年からは代表3団体のみとなった。昭和59年からは岩田屋前や日銀前に馬追いコースが設けられるようになり、「観光桟敷も」の声もでている。

 神輿の牛車
 神輿が牛車に乗ってチャリチャリと音をたてながら進む風情は熊本の秋を思わせる。神輿が牛車に乗るようになったのは、恐らく明治10年以後、藤崎宮が現在地に移転してからのことに違いない。昔は三社祭りなどと同様に神輿はかついでいた。もっともワッショイワッショイなど景気のよいかけ声はなく、静々とではあったようだが…。神様は牛車の方が快適ではあろうが、車を引く牛は天草・倉岳から毎年苦労して調達しているとのこと。

 能と狂言
 お旅所では昼休みに能と狂言が奉納される。能は金春流と喜多流、狂言は大蔵流で、一流の方々が舞われるが、その演目は江戸時代以降変わっていないという。昼休みに酔っぱらってばかりいないで段山の能場まで足を運び、しばし能と狂言を観賞してみてはどうか。



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